「知」のビジュアル百科トップ > 世界の文化と文明の図鑑 > アステカ・マヤ・インカ文明事典
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1521年アステカ王国、1532年インカ帝国、1697年マヤ王国滅亡。
スペイン人によって滅亡に追い込いまれた
アメリカ大陸の国々。失われた「黄金郷」の起源をたどり、
その文化をわかりやすく紹介します。
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1521年アステカ王国、1532年インカ帝国、1697年マヤ王国滅亡。
スペイン人によって滅亡に追い込いまれた
アメリカ大陸の国々。失われた「黄金郷」の起源をたどり、
その文化をわかりやすく紹介します。

16世紀、スペインの探検隊は、アメリカ大陸で2つの偉大な文明と出会った。
1つはメソアメリカ(アステカ族とマヤ族によって支配されていた)、もう1つ が中央アンデス(インカ帝国の支配下にあった)である。そこで、さまざまな部族と王国が割拠する土地で、洗練された芸術、壮観な都市、独自の風習をそなえ た文明が開化していた。
その独特の経済、政治、社会は、彼らの祖先が築いたものを代々受け継いで発展させたものだった。

南アメリカでインカ帝国が最盛期を迎えるまでに、たくさんの文化がアンデスで興亡し、その基礎を築いた。こうした文化の歴史を伝える文字の記録はなにも 残っておらす、遺跡、土器、埋葬品などから解明していくほかはない。
考古学的に、これらの時期はいくつかの時代に区分できる。最初に複雑な部族社会が登場 したのは紀元前1800年ころである。
15世紀半ばにインカ帝国が出現するまでに、政治、経済、社会が高度に発達したさまざまな文化が起こった。そこで専門技術を身に付けた職人がみごとな工芸品をつくり、多種多様な神々が崇拝された。
ペルーの沿岸ではナスカ、モチェ、チムーが、高地ではワリ、ティアワナコ といった国が文化国家を形成していた。インカ帝国はこうしたすべての文化を吸収して1438年に成立したが、1534年にスペインに征服され滅亡した。

美しい装飾のある土器は古代アンデスの文化的遺産であり、アメリがでも豪華で個性的な土器が盛んにつくられた。
どちらの地域にもロクロの技術はなかった が、絵付け、彫り物、型押しで模様を付けたさまざまな形の土器をつくった。
普段に使う土器は単純なものだったが、貴族が使うものや祭儀用の土器は凝った装飾が施されている。文字のなかったアンデスでは、出土した土器が当時の社会、文化を知る貴重な手掛かりとなっている。
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